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国史跡 旧崇廣堂

田楽座わかやで昼食をすませた後、ななめ向かいの国史跡 旧崇廣堂を訪ねました。
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崇廣堂は、文政4年(1821)伊勢津藩第10代藩主藤堂高兌の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、津の藩校有造館の支校として建てられたものです。
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創建当時の主な建物は、講堂、北控所、表門、御成門、母屋、玄関等など講堂を中心とする文場(文教場)のみで武場(武道場)は設けられていませんでした。
その後、文場の西(現在市立崇廣中学校所在地)に馬術・槍術・柔術など各流派の練武場・兵学寮からなる武場が設けられました。

創建から約30年たった嘉永7年(1854)、伊賀地方を中心とした大地震(安政の伊賀地震)のため、講堂を除く多くの建物が崩壊する大被害を受けましたが、翌年から復興されることになりました。

明治維新後、津県を廃し、安濃津県管内に編入された際、それまで続いた藩校は廃され、私立上野義学校が設けられました。
その後、近代的な教育制度に切り替えられていく過程で、学制発布後には村立上野学校、小学校令公布後は町立丸之内尋常小学校などと次々に名称が改められました。
明治38年からは、阿山郡立図書館となり、市制の実施後は、市立図書館として昭和58年まで使われました。


庭では萩が咲き始めていました。
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この大広間で藩士たちが学問を学んでいたんですね~
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現在はイベントなどで市民に広く活用されているそうです。
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百日紅は終わりかけでした
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現存している藩校としては近畿・東海地方においてはここ旧崇廣堂だけだそうです。

今回、旧の藩校跡は初めて訪れました。
当時の藩士たちはどういう思いで学問に励んでいたのでしょう。
日本の未来は現在のようになるとは思っていなかったでしょうね。
そんな思いで、旧崇廣堂を後にしました。



【旧崇廣堂】
 伊賀市上野丸之内78-1
 伊賀鉄道上野市駅下車徒歩5分
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テーマ : 三重県
ジャンル : 地域情報

コメント

No title

伊賀上野に行くとここに足を運びます。
藩士たちが向学心に燃え
全力で学んだ場所…

素敵だなぁと思います。

Re: No title

よっちんさん
私は初めての訪問でした。
藩校というのも初めて。
建物の中を見てると
藩士たちが勉強してる姿が目に浮かぶようでした。
また訪ねたいと思います。

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椿ひめ 

Author:椿ひめ 
お出かけが好き。
花が好き、写真も好き。
そして美味しいものも大好きです。
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